目的地は自分が決める



かれこれ10年くらい前。




中学時代の同級生と

大阪にて再会。



教師仲間でもあった

彼女との会話の中で



《やりきる》




ということについての

気づきが起こった。



教師の定年は60歳。

(2012年当時)



私は38歳の時に退職した。




友人は私が、その年齢で

退職したことを




「最後までやりきらずに

 途中で辞めた。」




と、とらえており



ずっと

「何で?なんで途中で辞めたの?」

と思っていたそうだ。




へー!

そうだったんだ!!




それに対する私の返事は

こうだった。




アバター®︎に出会って  子どもを源にするって

こういうことか〜!




と感じることができた上での

退職だったので




私自身は

「途中で辞めた」

とは思ってなく 「やりきった」感があったのだ。




そう伝えると

しばらく黙った後




「あ、そっかー。

 最後までやりきったかどうかは

 時間じゃないんだね。」と。



確かに!



私たちは、自動的に

内面ではなく

物理的なものを

目的地にしているところが

あるかもしれない。




今回の話だと

60歳という定年が

教職を終えるゴール。




でも、それは

外側が決めた目的地。




学校だと



この45分の授業時間が

終わったら終わり。

ハイ次!



1学期が終わったら、終わり。

ハイ次!



この教科書の内容を

教えたら終わり。

ハイ次!




子どもが 「満足した」

「やりきった」

ということよりも

時間割や

学期で区切って

やっていたなあ、、、。




そこに




「十分満足したかどうか」

「成果を感じられたかどうか」




という




《目的地を自分で決める》




っていう視点を入れたら

どうなるだろう?



子ども達が



「ここの教材は

 まだ満足していないので

 もう一度やりま〜す。」



「割り算は、教科書では

 10時間になっているけど

 3時間で出来たので次に行きます。」



とか 




どんどん

自分たちで

行動し始める。




そんな姿を思い描くと

ワクワクする!



《目的地は自分で決める》




そんなの当たり前だ。

と言われるかもしれないけれど




これは、案外、自分も

盲点になっているな〜。




関連ブログ→

「自分のことは自分で決める態度の回復」

 

アバターって何ですか?

→まずは本を読んでみる

→まずは体験をやってみる

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