子どもを1人助けた時に、医者になった「元を取った」と思ったんです。〜吉岡先生の講演会より〜
子どもを1人助けた時に、
医者になった「元を取った」
と思ったんです。
これは、
途上国で無償の医療活動を続ける
吉岡秀人医師が、
先日の講演会で、言われたこと。
そして、1番印象に残ったこと。
ええっ!!ですよ。
え、エエーーーーー!?ですよ。
私の人生の中で「元を取る」を
そういう風に思ったこと
なかった!
私が「元を取った」
という表現を使うときは
モノであれ、経験であれ
払った金銭以上のものが、
得られた。
と、感じた時。
早い話、自分が
得した!いえーい✌️
と、思った時ですな。
そして、自分が
「元を取らなきゃ〜!」
って、なってる時って
何が目的で
どうしたかったか
は、どこかに行っちゃって
ただただ、損したくない。
自分だけ損するのは、嫌。
という感情に支配されて
必死になって
がめつくなっちゃってる時。
そ
れ
が
ですよ。
子どもを1人助けた時に、
医者になった「元を取った」
と思ったんです。
なんということでしょう。
自分がどれだけ得したか。
ではなく。
自分がどれだけ与えられたか。
ってことですか、吉岡先生!!
その時、私の頭の中に
浮かんできたことを
そのまま書くと
ああ、じゃあ、私、
母をアバターにした時に
元は取ってる。
と、いうことでした。
一切の理屈なしに
ああ、そういうことなんだ。
と、ストンと降りてきたのです。
それ以上、何の説明もできない。
ただ、そういうことか、と。
そして「元を取った」
からと言って
そこが終わりじゃないってこと。
今までの私の
「元を取る」考え方なら
「元を取る」までは終われない。
やめられない。
やめるわけにはいかない。
って感じ。
だから「元を取ったら」
やめる。
でも、この吉岡先生の視点だと
「元を取った」から、
何だと言うのだ。
それは、始まりでも
終わりでもなく
連続して続いていく、
命の救済の1つ。
でも、その1つ1つが
医者になったことの
「元を取った」と、
思わせてくれるほどのもの
何という!
なんという、豊かさ。
与えることが
元を取る、ことになる。
それならば
もっともっと、元を取ろう
元を取りまくって
生きていこう!!
講演会の後半。
吉岡秀人医師の講演会は、いつも 医療の話にとどまらない。
この時代の最先端の話
この世界に、私たちは何ができるか
という視点から 話してくださるので 感動と共に、希望が湧く✨
圧倒的な熱量がありながらも 押し付けることなく 分かりやすく 優しく 大きく あたたかい。
自分の人生が、生きている
その何十年だけでなく
もっと大きな時代の流れの 1部分として感じられる
そして、その流れが 年々速くなっているのも
伝わってきます。
以下、
あいまいなところもありますが 講演会の吉岡先生語録です。
自分が、この時代の流れの中にある
分子の1つだとして。自分が
大きな成果をあげられなくても、
この先、そういう人が出てきたら、
それでいい。
喜んで、その分子の1つになろう。
それは自己犠牲ではない。
自己犠牲では、
人を幸せにすることはできない。
この世界が持続的に発展するような
試みに参加していく。
それは、本当に価値あること。
自分のために、
世の中を大切にする。
自分の人生だけは、
放り出せない。
引き受けられるのは、
自分の人生だけ。
自分の能力を疑った瞬間に
可能性は消える。
他にもたくさん、
お話ありましたが 私のメモにはこれだけ!
本も素晴らしいです。
ジャパンハート
アバターって何ですか?