終わりのない争いの状況を変えるには



甥っ子ちゃんたちを

預かった1日半の間。


なんか食べているか

喧嘩しているか


の、どちらかだったYO。


低学年を担任した時にも

思ったのだけど


争いの多くは


【物の取り合い】


にある、ように感じる。

僕が使ってたのにー!

貸せよー

嫌だー

ボコッ(手が出る)

うわーーん。・゜・(ノД`)・゜・。


というパターンですわ。


この甥っ子ちゃん達の

終わりのない争いの状況を

見るに見かねた

おばあちゃんが(母ね)


いつも、一個しかないので

取り合いになるけん玉を


もう1つ、買ってきた!


さあ、これで解決だ!

争いは無くなる、はず!


だった、のですが

そうは、いかないもんですよねー


だって、




人が使っているのが、使いたい!




のですよ。


そっちがいいー

そっちを貸せー

嫌だー

ボコッ(手が出る)

うわーーん。・゜・(ノД`)・゜・。


じゃあ、交換っつって

やり始めるんだけど

やっぱり


そっちがいいー

そっちを貸せー

嫌だー

、、、、

以下略


どーして、

2個あるのにケンカするのー!


という、母の声が

虚しく響く。

これ、色も形も、

同じけん玉が2個あっても

状況は変わらない、

と思うんですよね。


なんでか、と言われたら


だって、意識が

変わってないから。


シェアする

譲る

相手を思いやる


内側が変わらない限り

争いの状況は、続くんだと思う。


それを私たちも


大人同士で

家同士で

会社どうしで

国同士でやっているんだと思う。


リビングデリバレイトリーの

一節が、思い出されます。


「しかし、究極的には、

これら全ての問題は、

 人類の集合意識の中で

解決される必要があります」


リビングデリバレイトリー  

ハリー・パルマー著

この地球に

有り余るくらいの資源があったら

争いは収束するのかというと

やっぱり、そうは思えない。


もっと!

もっと!

もっとくれ!


というのがある限り

その現実は続いていく。


そういうことか、、

そういうことだなあ、、