「よく、我慢したね。」よりも「よく、言えたね。」を増やしたい。
少し前。
「伝える」
ということについて
知人のFacebookの投稿を読んで
感じたことがありました。
※ 以下、知人には了解を得て、
引用させていただきました。
学校から帰ってきた夕方から
ずっと体調が悪かった息子。
夜になって意識朦朧の中、
嘔吐を繰り返す。
いろいろ聞いてみると、
学校で友達と遊ぶ中で、転んだ際、
床で後頭部を打ったとのこと‼
※その後、すぐ病院で検査をして、
大事には至らなかったそうです。
(略)
後日。
今日、教頭先生、担任の先生、
学年主任の先生から
お詫び、そして家に息子の様子を
見に来ました。
〇〇(←遊び)は、
しないように注意します。
担任の先生→
ちゃんと見れていませんでした。
今後このようなことが
ないように、、。と、
妻は言われたそうです。
う〜ん、なんか違う。
遊びは、子供たちにとって
大事なコミュニケーションの場、
表現できる場、
楽しいひととき。
遊びを辞めさせるんじゃなくて、
TPOや加減を教えればいい。
担任の先生も、
30人近い子供たち
一人一人なんて、
ずっと見てられないよ。
頭は大事な所、頭を打ったら
本人か、見てた人が必ず、
先生に伝えることを教えればいい。
なぜ、すぐに言わなかったのか?
言えなかったのか?
言わなくてもいいと思ったのか?
怒られると思ったから、
言わなかった?
血も出てないし、痛がると
恥ずかしいから?
そこを探って対処していけばいい。
昔は違ったような、、。
ここ何十年かで、
親や世間が学校教育をそうした?
そうだとしたら、
評価される側の学校からより、
評価する側の親や世間から
変えていかないとなぁ(。-∀-)
(引用ここまで)
これを読んで、息子さんが、
後頭部を打ったことを
自分で話せて、
本当に、良かったー!
と、同時に何だか胸が、
きゅううっと、
締め付けられました。
この方も、書かれていますが
周りで見ていた子も含めて
頭、という大事なところを
打ったことをなんで
すぐに先生に言わなかったのか?
怒られる、と思ったのか?
血が出ているわけじゃないし、
それほど、おおごとではない。
と思ったのか?
私は、お家で親には言えて
学校の先生に言えなかったのが
なんとなく分かる。
ような気がします。
自分の経験を振り返ると
私は、子どもたちへ接する中で
「よく、言えたね。」
という、言葉かけよりも
「よく、がんばったね。」
とか
「よく、我慢したね。」
と、いう、『評価』からの
言葉かけの方を
多くしていたように、思います。
言葉にしてなくても
頑張ることが良いことだ。
我慢が美徳。
波風を立てず
面倒なことを言ったり、
やったりしないのが、良いこと。
と、いうような感じの『評価』を
いつもどこかで、していたんだ。
と、思います。
痛い。
誰しも
一度は、誰かに言われたことが
あるであろう、セリフ。
「怒らないから、
言ってごらん💢💢」
こえー。
こえーよ。
言えるわけねーよ!!
もう、怒ってるじゃん!
声のトーン低いじゃん!
💢マーク付いてんじゃん!
って、やつ。
それよりも
「よく、言えたね。」
「言ってくれてありがとう。」
と、返せたら。
どんなことでも
勇気を持って伝えてくれた
その行動そのものを称賛して
心から感謝して
なんでも言える
安全・安心なスペースが
創ることができたとしたら、
正直になる。
思ったことを言う。
と、いうことに
子どもたちは何の
ジャッジも持たないだろう。
こんなこと言ったら、
どう思われるだろう?
と、いう考えすら
浮かばないかもしれない。
思ったことを言う。
正直になる。
自分を表現する。
大事なことは、伝える。
それが、文句なしに
受け入れられ
歓迎される時
その行動は
喜びとともに
拡がって行くんだろうなあ。
それは、何が大切かを
本当の意味で、正しく理解して
命を守ることにも繋がるんだなあ、
と、今回の知人の投稿を読んで、
感じたのです。
「よく、言えたね。」
正直になれた時
勇気を出して、伝えられた時
自分にも、使おう。
アバターって何ですか?